ペインクリニック開業医会は質の高いペインクリニック医療を提供するため臨床技術の向上と診療環境の改善を期しわが国の医療の発展に寄与します。

2011年8月 バックナンバー

第6回全国ペインクリニック開業医会総会

愛媛県松山市での日本ペインクリニック学会第45回大会に合わせて開催した全国ペインクリニック開業医会第6回総会&第4回懇親会も盛会のうちに終えることができ、ホッと胸をなで下ろしたところです。

 

今回は、総会でご講演いただいた季羽哲二先生の講演内容を掲載します。じっくりと味わって下さい。

 

2011年8月
全国ペインクリニック開業医会
会長 中村 耕一郎

2011年7月22日日本ペインクリニック学会第45回大会《会場:愛媛県県民文化会館》
第6回全国ペインクリニック開業医会総会講演
「加齢と仕事」 元・季羽クリニック院長 季羽哲二先生

ご紹介有り難うございました。松山市でペインクリニックを開業していた季羽哲二です。本日はこの会にお招き頂きまして誠に有り難うございます。会長の中村先生、会員の諸先生方に対し心より御礼申し上げます。
 「実地医家のとしてのペインクリニシャン」という題ではなしをしてはどうかとのご提案だったのですが、そのような高所からの講演ではなく、身近なテーマ「加齢と仕事」という題で私事を含めてお話しさせて頂きたいと思います。

 皆さんのように、現役の、そして働き盛りの方々を目の前にしますと、本当に眩しい限りです。私は今77歳、古い言い方では喜寿です。昔なら大年寄りの部類です。
 77歳と言えば、ペインクリニックの生みの親・Bonica教授がお亡くなりになった年齢です。Bonica教授は17年前、8月15日に、脳出血のため亡くなられました。
 皆さん、本田宗一郎さんというお名前を覚えておられますでしょうか? 本田さんは本田技研の創始者です。数多くの名言を残されました。その中に、「老害」というのがあります。我々みんな65歳か、70歳も過ぎれば常に考えておかねばならない言葉です。本田さんご自身は67歳で引退されました。

 話は私自身のことに戻ります。私は3年前、心房細動の発作が頻発するようになりました。体調は崩れ、体力が落ちました。毎日、初めの3人には良い診療が出来るのですが、その後は脱力感が出て、4人目からは良い仕事が出来ていないと感じました。4人目以後の患者さんに本当に申し訳ないと思いました。その時点で、仕事を辞めようと思いました。

 医師という職業集団にはいろいろの人がおります。孤島や山村僻地で献身的に働き、生涯その地で働いて、そこに骨を埋める、というような本当に偉い医師もおられます。しかし、その数は少数です。
 一般の医師は、開業医であれ勤務医であれ、全体として年代的リレー方式で社会の医療を支えております。
 医師も人間ですから、他の人と同じように年を取っていきます。年を取れば体力が落ち、視力・聴力・触覚など感覚の機能も落ちます。それだけでなく、記憶力・思考力・判断力など脳の機能も落ちて来ます。身体の機能が落ちれば、いくら経験豊富な医師でも、意思としての能力が落ちてきます。それは即ち仕事の質の低下につながります。仕事の質の低下がある程度を越した場合、それでもなお仕事を続けるのは、その医師の自己満足にしか過ぎません。
 開業医には、辞めるべき時期に辞めろと言ってくれる人がいないという欠点があります。ある程度以上仕事の質が下がったら、開業医は潔く自ら引退すべきです。それは義務だと思います。私は3年前の年末に廃業しました。松山市にはペインクリニックの同業者がもう既に数人いましたので、おかげで比較的スムーズに廃業することが出来ました。辞めて、ほんとうに良かったと、心の底から思いました。

 今、辞めてから2年半が経ちます。この間、好きな事をして、自由な時間を過ごしました。仕事をしている時から、したいしたいと思っていた事が沢山ありましたので、退屈だと思った日は1日もありませんでした。私の体内には、怠け者のDNAがかなり多く組み込まれているものと思われます。
 気ままな日々を過ごしていると、心房細動の発作は次第に起こらなくなり、体力も回復して来ました。
 人間の考えは「いい加減」で「勝手」なもので、体力が回復して来ると、また違ったことを考えるようになりました。人生は1回だけだから、悔いのないように過ごさなければならないとか。自分が楽しいだけの毎日では、社会的にみて勿体ないとか。私の人生の残りもそう長くはない、だから人の役に立つ仕事をして死にたいとか。
 その結果、今年6月初め、ペインクリニックの仕事に復帰することにしました。松山市の病院に、週に1日だけ勤務しています。この病院には、ペインクリニックの診療科がなかったので、現在、2部屋の全面改装と備品の調達など、ペインクリニック診療開始の準備中です。8月初めから診療開始の予定です。
 自分の老齢化とその時の体力に相談しながら、また自分の仕事の質を監視しながら、仕事を続けたいと思います。

 最後に飯塚小玕斎さんの「仕事の話」に触れたいと思います。飯塚さんは東京のご出身で、東京芸大の油絵科を卒業されました。後にお父さんと同じ竹工芸に変わられ、大成され、人間国宝にもなられた方です。飯塚さんの「仕事の話」に私は多くを学びました。その要旨を小さな紙に印刷して皆さんにお配りいたします。出来ましたらそれを1日でも2日でも本に挟んで、栞として使って頂けると有り難いと思います。

 皆さまの今後のご活躍とご発展をお祈りいたしますとともに、今後ともご指導の程どうぞ宜しくお願い申し上げます。

※飯塚小玕斎(1919~2004:竹工芸家・重要無形文化財)
  1. 仕事をする者は皆、職人でなくてはならない。
  2. 仕事は雑巾から入らなければいけない
  3. 職人は、技術を積み重ねて行く。 ずーっと修練する。
  4. 積み重ねというのは、単に同じことをやっているのではない。
    何回もやっているうちに研ぎ澄まされて、非常に深いものを会得してくる。
    それが職人の仕事である。